胡蝶之夢

こんな夢を見たい

2023年のもうじき春

2023年になっていた。

 

2022年4月には結局工場勤務を辞めた。次など決めず、ただ辞めたくなったから辞めた。

 

日曜の夜から勤務が始まり、月曜の朝に終わる。入れ違いに来る日勤の人たち。上長が来た。私はついに決心した。

 

1か月して、退勤日を迎えた。朝も、昼も、夕方も、夜も深夜も明け方も。労働から解放された。すかさず来る不安。

 

どうしてこうもうまくいかないのか。正社員では採用されない。仕方がないので派遣で探そう。するとすぐに勤務が決まった。

 

登録、求人応募、面談、出勤。全てが済むまで2週間もかからなかった。次の職場では開発業務を担うこととなった。

 

よくある話だ。工場併設の研究所。周りは山か畑か雑木林か。レストランはおろか、コンビニ1件もない場所。それでも私には、眺めていた炉の明かりよりもまぶしく映った。ああ、普通とはこれのことだと。

 

時給で働く。年収では300ちょうどくらいの収入だ。暮らすだけなら満足だ。28歳で独身人生を貫くだけなら十分だ。

 

2022年はそれから早かった。身体的にも、精神的にも負荷が無い。祝日や休みだし、その週の土曜日が出勤になることが無い。休みが多いと収入が減るが、あまり気にしないようにした。

 

それで...それで私は幸せか?悲しいかな、それでも不幸は背中に残る。非正規職で低賃金だからだ。今までに努力してきたことは、この結果を導くためであったか?

 

いや、大層なものでは無いことは分かっている。大した結果をもたらしたわけではないし、特別なスキルを持っているわけではないことも分かっている。それでも、人並み以上の努力はやってきたつもりだ。平均よりは高い結果を持っているはずだ。それで、それでこの待遇なのか。

 

ああ、再び苛まれている。こんなはずではと。これが俺の最大の価値ではないはずだと。それでも現状に満足しなければならないのか?

 

平均という幻想に、人並みという空想にとらわれている。それを振り払うには、皮肉にも少なくとも人並みで平均以上にあるという心情を持たなければならないのだ。

 

悪夢は終わらない。辛い現実を見ないために、目をそらしたところで夢を見ることから逃げられない。それでもいいからもう、気にせず生きさせてください...

2022年の抱負!!(いまさらかっ!!)

2月になって、現状は変わらず、むしろ悪くなっているようにすら感じる。日々職場と自宅の往復。退屈できつい仕事。殺伐とした人間関係。孤独。自己嫌悪。無力感。

 

もう今年の目標すら立てられないのか。どことなく諦められない何か。ああ

 

ああああああああああああ

 

空は青かったり、白かったり。日差しだけは暖かい。夜はただ寒い。騒がしい時間も、静かな時間も。俺には何ら関係ない。社会人となって、失われたのは社会とのつながりだった。私はただ「歯車」になっただけ。

 

わずかな休日に私は新宿駅に赴く。人の往来は相変わらず多い。だが、なぜか静かに感じた。ひそひそと話しながら、目立たぬように歩いている人達。

 

「単純」労働ではない。しかし「単調」である。求められているのは労働「力」の提供。これだけだというのに、どうしてただしんどいのだろうか。ノルマも無い。創造力も必要無い。英語も必要無い。PCのマウス操作すら必要な知識では無い。これがこれほど苦痛を伴うとは。

 

転職の夢も、再受験の夢も、始める前に止めてしまった。明日も目覚める。辛くて厳しい労働という現実に。

再受験の夢を見る

私は再受験をする。と思う。

 

公務員になろうかなどとほざいたが、さらに心境の変化もあり、また別の道を考えている。

 

普通のサラリーマンのような生き方ではなく、専門職に生きる方が良かろうか、など。

 

広く一般に役立つことをどこか裏側でやるのではなく、一人ひとりに対して表立って向き合った仕事をする方が良かろうか、とか。

 

あとはお金、名声の部分。

 

風が落ち葉を運び、目の前に落ちてきたかのように、そこに新しい選択肢が舞い込んだ。

 

来年度に向けて。

本棚:9月9日

夜勤前の休日で、何となくふさぎ込んでしまうのが嫌なので今日も外をうろうろしていた。結局目的もなくいきつくのは本屋くらいで、何も買わないのは気が済まない。目についた面白そうな本を買ってみる

 

仏教用語の基礎知識 山折哲雄 (角川選書

東アジアの文化に深く影響した仏教という宗教をどれほど知っているだろうか。母親が脳卒中で倒れ、そのまま死に至った時、葬儀のため坊主を呼んだがその額、脳卒中の治療のための費用(保険適用や高度医療制度により負担額は数万円だったが)とほぼ同額だった。それほどの価値を持った行為だったのか。私には分からない。しかし仏教の価値を知らない私の無知さのまま、金額だけ見て批判するのもどうかと思った。

仏陀は苦行の果てに道を見つけることは出来ず、菩提樹の下瞑想を行う過程で悟りを開く。仏陀、そしてその教えを知り悟りを開く者たちの教えは言葉に変わる。法典により教えは書き伝えられる。そして多数の仏教用語が生み出される。全てを知るには時間が足りない。600ほどの用語の解説がこの本に記載されている。

それらの用語を知ることで仏教のカタチを理解する。仏教の奥深さを理解することが出来れば、あの日聞いた経の価値も、それなりの金額を払うことに納得できるだろうか。

 

地球の歩き方BOOKS 世界の指導者図鑑 (地球の歩き方

指導的立場にある人のルーツ、概ね以下のような分類になるのだろうか。大学卒業後政界入りした人、社会運動リーダー、国王、そして軍人。repubricという意味の広さに思いを馳せる。代の数字もかなり多様。日本の首相は次で100代。これはかなり多い方。一番多いのは266代。どこの国かな?正解はバチカン。ヨーロッパ諸国も冷戦後の政治体制の革変から代数は少ない。リーダーの生い立ち、政策を見ていると国際地理の知識レベルも大きく変わる。やはり世界を知っていると何か賢くなれた気になる。

地球の歩き方シリーズ。各国各地域の特色がまとめられており、海外旅行の最も重要なハンドブックとして知られている。しかしコロナ情勢の影響で急速に本が売れなくなってしまった。そうした中、生き残りをかけて面白い企画を打っている。この本のレベルも流石と言わざるを得ない。これからも応援したい。

工場勤務4か月やってみた!

とても辛いです

 

工場に配属されて4か月ほど経ちましたのでちょっと感想でも書こうと思ったのよ。

工場といってもここでは焼却工場で、産廃をやっている会社での話。製造業と違って業界規模が狭いので特定されちゃうかもだが、半分フィクションなのであまり気にしないでください。

 

 

・交代勤務は心身に対して負担が大きい。

20日のうち5日労働し、1~2日の休日を挟むスタイルで、1日を3分割し朝勤(7時~)、夕勤(15時~)、夜勤(23時~)をローテーションする。工場は長期休暇時期以外停止しないので、年中これを繰り返す。朝勤、夕勤はそこまで生活サイクルに大きな変動はないが、夜勤になると急に昼夜逆転を強いられるので非常に負担が大きい。

 

身体の面

ー睡眠サイクルが正反対になることに体が慣れてないため、昼時間中の睡眠で疲労が全く取れない。仕事帰りに寝るが、その質はほとんど昼寝レベルであり、眠気を除去するくらいしか効果がない。仕事中に体の「リセット」が行われているのを感じるが、起きて作業している為蓄積する疲労の方が大きく、5日間疲労は溜まり続ける。明け休(5日目の仕事後は日付が変わっているため、その日は法的には労働日であるはずが、日勤から見れば休日なのでこのように表現する)から休日が1日しかなくすぐに朝勤が始まるため、休日はまさに「休む日」で何かできる体力が残らない。

そもそも業務量が多く休憩時間中に作業することが常態化しており、1日の疲労感が半端ないので帰り即睡眠みたいになっているので、全く何も出来ない。残業が少ない(無いとは言っていない)のが救い。というか残業なんかしたら死ぬと思う。

 

精神の面

ー班での作業となり、人間関係の大部分はその班内のみで形成される。社内ですら他部署とのやり取りはほとんど無く社外に至っては0であるのでその辺割り切れるかどうか。しかし大抵の精神的負担は「人間関係」に起因するのでかなり重要だ。誰しも何かしらで相いれない部分は存在するので、その折り合いを自分で付けられないと壊滅的な状況になりがち。定型業務であればそこまで意思疎通する状況には無いが、新人と先輩/上司の関係では何かとコミュニケーションをとる必要が多い。どんな相手でも何らかの精神的負担は存在する。

ー時間的余裕は残業が無い分、1日の中で余裕はある。しかしそのほとんどは「休息」に当てないと体が持たないので何も出来ない。特に夜勤に至っては夕方以降から体は休息モードに入っていくのに出社しなければならない状況に追い込まれるのでかなりメンタルに来る。徒労感や後悔や無力感、自暴自棄的な精神状況と5日間闘いながら、労働に励む必要がある。

 

・業務内容が危険を伴うが、迅速な作業を求められるので防護面でおろそかになる

ー取り扱う物が産業廃棄物であり、極めて身体へ毒性のあるものを手作業で取り扱う。本来は防塵防毒マスクなりをつけて作業するべきだが他の業務も並行して行わないといけないため、そのような措置は実際には取られない。液体が皮膚に付着して赤く腫れることは日常茶飯事である。溶剤臭があまりにもきつすぎてむせ返る毎日を過ごしている。粉体の廃棄物(接着剤の素みたいな奴)が舞いまくってる中で溶剤が入っていたドラム缶の中に頭突っ込んで中身を取り出す作業を当たり前に行っている。仕事に追われて自分を見失いがちだが、わが身は自分しか守ってくれないので無能判定を喰らっても安全に作業するべき。

 

・常態化する休憩/休暇無い自慢

ー新人には休憩/休暇を与えるような風土があるが、それはあくまでも「新人プレミアム」であり2年目以降は激務に追われ休む暇が無い。上司の有給溜まってる自慢はあほ程聞いてうんざりする。大体有給そんな溜まってるなら使えよ。何と闘ってんだよ。また、休憩時間は1時間半あるが休憩時間中はいくら労働してもOKという風潮がある。新人の自分ですら既にフルに入れていない。この中で肉体労働はかなり辛い。皆辛い思いをしているのがタチ悪く、泣き言を誰にも言えない状況となっている。誰も言わないのがまずいと思うのだが。

 

以上から工場勤務は3K(キツイ、キタナイ、キケン)の地でいく労働で、労働耐性のある者だけが(勝手に)セレクションされて、耐性のある「強い人」だけが100%労働することで運用される工場となってしまい、毎年耐性のない新人がバタバタ辞めていくのだろうと思う。

 

いい面は無いのか?ということで何かいい所でも挙げておく

 

・給料は(労働の単純さの割に)良い

三交代すると交代勤務手当や深夜手当がつくので基本給からの上乗せが大きくとても魅力的だと思う。しかし基本給自体が割安だと感じる人は色々手当をつけてようやくそれらしい(普通の)給料と感じることもある。年休90日で三交代手当深夜手当残業込みでの収入は大手製薬企業年休120日残業代なしで見込まれる給料と同額かちょっといいくらい。人間性を捧げて同額の給料貰うくらいなら安くて良いからもうちょっと楽な仕事を選びたかった。

 

・平日休みに計画を立てられる

ここはコロナのない世界であると仮定すると、世間様が平日の時に休日が入ると一人で小旅行する際は観光地が混雑しないので行きやすい。役所なんかも平日にわざわざ休みを貰っていく必要もない。ハッピーアワーに意気揚々と乗り込んで酒を煽ることもできる。屈強な肉体を持ち、休日に遊びに行ける体力を持っていればそれなりに楽しい休日を過ごせると思う。

 

・仕事のストレスを家に持ち込まなくていい

現場仕事なので仕事を家に持ち込まずに済む。退勤打刻を押せば出勤打刻までしっかりフリーで、オンオフははっきり出来る。これに関してはデスクワーカーには無い大きなメリットで、家では余計なストレスなく仕事辞めたいとか言ってられる。その代わりテレワークは一切ないが。

 

工場勤務して得られるもの

・忍耐力(肉体)

ー24時間どの時間帯にもベストコンディションでの仕事を要求されるため、これに対応する力がつく。肉体労働によって若さと引き換えに謎の忍耐力を身に着けよう!

・世間との疎外感

ー祝日の無い世界でひたすら工場とともに生きるため、やれ働き方だやれテレワークだ時差通勤だなんだかんだに全く影響が無い。休日イベントも休みを貰わないと行けないし(休みは取り辛いが)隣の住民からどう思われているのか分からない。休みをくれ。

 

失う物

・精神的余裕

・若さという時間

・自信

・充足感

・プライベートを楽しもうという気持ち

・髪

etc... ...

 

と色々dis...列挙したが結論は「体力と夜勤耐性があるなら出来る。そうでないなら出来ない」かな。労働環境に目を瞑れば。

 

1年は続けないと単なる根性無しかなと思っているので(流石に数か月では設備関係の実務が身につかない)もうちょっと頑張ろうと思っているが、数年やるには体が持たないので次のキャリアを考え続けている。皆さんは仕事場でゴミを出すときしっかり決めれられたルールを守って分別して出してくださいね。現場がもう少し楽になるかもしれないので。。。

 

なんかついでの雑記

 

産業の影(いわゆる静脈産業)は中々面白いものがあると思う。製造過程で出たゴミもあれば研究所から出た廃棄物もあり、流通や小売りから出た不用品もある。要らなくなった物を処分すると簡単に言うが、焼却プロセスには厳しい環境基準が敷かれていて、ただの炭化水素ですらダイオキシンを生成するため規制対象だし、重金属の類も濃度規制が敷かれている。この辺の現場の苦労は産業界全体で理解して欲しいし、出来るだけゴミを出さないような工夫や改善を製品設計/製造段階で取り入れてくれると良いと思う。

 

個人的には製品設計の段階でリサイクル達成率を上げる工夫を凝らして欲しい。建設系廃棄物とは違い化学系廃棄物は炭化水素、樹脂、金属類が混ざってしまうのでリサイクルが非常に難しい。結局焼却処分が最も低コストでしかも安全だったりするのだ。循環型社会形成には焼却炉を憎んで批判し潰そうとするのではなく、製造側が1つ1つの製品に対しどれほどのレベルでリユース、リサイクル可能か検討し、常に改善するよう促していく方が重要に思う。

 

 

 

 

ちょっとした決意表明

ずっと心の中で引っかかっていたものがある。それはなんだっただろうか。時が流れ、こうして日々仕事場と寮を往復するだけで、変化の訪れようのない生活を思い入社3か月にして既に辟易している。

 

年齢。27歳になる年に就職。おそらく25を超えるあたりから、年齢に対する社会の目と、自身の自覚との乖離が現れる。周りは就職、結婚、出産など、「人生」のステージを進めている。自分が周回遅れになっていると気付いた頃には普通の方法では挽回出来ない。市場原理主義に則れば、「売れ残り」とラベルされる。

 

この生活、この人生を望んできたのか。そんなはずなかろう。大学院在籍中に就職活動はした。しかし内定0。進学に漠然とした希望を託した。どことなく漂う違和感は見て見ぬふりをした。今考えれば明解だ。自分が進められる研究なんぞたかが知れている。まともな研究者にはなれない。明確に自覚したきっかけはコロナウイルス情勢だ。研究室への立ち入りを制限された。それは自分にとって「解放」に感じられたのだ。

 

再び就職活動である。大手も製薬も、前年蹴られたことで気が進まない。というより既に募集期間が終わっていた。残りの求人を探す。中小企業、新規事業、技術系(特に分析)。当てはまった会社に入った。工場勤務の辛さは、せいぜい重いものを運ぶことと、夜勤が体に合わないくらいだろうと高を括っていた。

 

思っていたよりも辛かった。私にとって最も重要なことは、「誰と」働くかであることに気付かされた。院卒理系の眼鏡にかかったプライドかもしれない。人間は(これはあまりに一般化しているかもしれない)より等質な環境に自己を置くことを好む。高校、大学とセレクションされた後の人々は、知識レベルだけでなく形成された価値観や好奇心のレベル(どれほど深く知りたがるか、という意味)も一定水準以上である。

 

要するに私が求めている環境は、私より頭の良い人が多く、その人らと働ける環境だと思う。今の環境に無いと断定していることは自己の「傲慢」かもしれないが、興味の対象がかけ離れているとどうしてもそう思わざるを得ない。少なくともこの現場には、最新の知見やら発見やら発明やらは届かない。同じメンバーで同じ作業を繰り返すだけ。新しいことは限られる。退屈な仕事だということだ。

 

何をしたいのか。そもそも自分の中にあった、漠然とした「やりたいこと」は何だったのか。自分の本棚に、大学時代に購入した教科書が並んでいる。捨てたものも当然ある。なぜか残しているものもある。

 

夢の中で思い出したこと。高校の地歴公民の先生から突然「お前は政治家になれ」と言われた。無論なる気は無い。そもそもなれる訳がない。しかし自分の中では「公の役に立つ仕事」に憧れを抱いていたのだった。夢といえるものだ。それは、確か大学院1年の夏ごろまでは、そう思っていた。教科書は、公務員試験の科目に対応していた。

 

公務員にはなりたくない。なってしまえばどんな仕事を担っていても「公務員」だからだ。それに、安定を取った、だのエリート志向だの、はっきり言って自分の自己イメージとはかけ離れている。それでも自分の将来像に、公務員というキャリアは必要に思えてしまう。だからもう一度、真剣に考えている。

 

国家公務員総合職を目指そうと思った。その先にも退屈で変化の無い生活が続くかもしれないし、自分の思い描く環境も無いし、今より労働環境が劣悪であったとしても。それでも、過去思い描いていた「夢」に近づきたい。今の道では遠回り過ぎてたどり着かないかもしれない。決意表明とは、何のことは無い、「公務員試験に向けて勉強する」ってことだ。

 

ただそれだけのことに、自分は一つ区切りをつける必要があり、わざわざ決意しなければならない。27歳までに出来上がった自己評価を更新するには多少覚悟がいる。どうせ出来ないという思い込みを打ち捨てるには、覚悟がいるものだ。

 

美化された過去の光景ばかり夢に見るのはうんざりだ。変わらない限り、永遠に同じような夢を見せられるのだろう。だからちょっとだけ、自分の中の小さな夢を追いかけさせてくれ。

7月下旬:勝浦

雨が降りやんだと思ったらそのまま梅雨が明けた。夏空に入道雲が重たく描かれている。もう何度も見てきた夏の光景。今年は最も退屈な夏になりそうだ。厳しい日差しを突っ切る電車に乗って、勝浦に赴いた。

 

その日は千葉駅で昼を摂った。なんでもよかったのでエキナカで売っていた弁当を購入した。定型文を卒なく口走る店員。型にはまった弁当と型にはまった接客は何故か相性が悪い。型にはまった味はしっかり旨い。貧乏舌は得である。鈍行に乗って2時間以上。車内で口を開けて寝ていたが、マスクをしていたので情けない寝顔を見られることは避けられる。マスクの無い世界に戻ってしまったらもう車内では寝られまい。

 

夕時に着く。駅の目の前にあるレストランにすぐ入り、天丼を食べた。エビは身の質感がしっかりしていて食べ応えがあり、アナゴの身は肉厚でこれまたうまい。タレは控えめにかかっていて食材の味を邪魔しない。会計を済ませて宿に行く。

 

荷物を置いたら海へ出かける。大きいホテルが海水浴場の目の前にあり、海に浮き輪の滑り台が浮いていた。切り立った崖にはコンクリートの法面。少し山の方へ眼をやるといくつかの大きい建物が顔をのぞかせている。

 

ちょっとした丘には遠見崎神社はひっそりと佇む。参道の階段から街を一望できたので、足を休めて見下ろしてみた。人の声、車の音、雨戸の閉める音がする。船の汽笛も聞こえてきた。おそらくずっと変わらない風景が、そこから見えた。

 

町おこしと生活と。活気を保とうとする努力を感じられる。その街の住人は、賑わいのある街を望んでいる。時にそれが、かけがえのないものと引き換えになったとしても、街の未来のために受け入れる。私にはどうもそれが、この街に不要なものな気がしてならないとしても、街の人々の選択は謙虚に尊重しなければならない。浮き輪の滑り台で遊んできたらしき少年の、楽しそうでたまらない笑顔とすれ違う。守られるべきは、これであろう。